大阪地方裁判所 平成5年(行ウ)12号 判決 1995年12月22日
原告
小南記念病院こと小南重憲
右訴訟代理人弁護士
酒井武義
被告
大阪府地方労働委員会
右代表者会長
由良数馬
右訴訟代理人弁護士
林弘
右指定代理人
木寺修三
同
野口敬司
同
河野寿寛
同
橋本潤一郎
被告補助参加人
小南記念病院労働組合
右代表者執行委員長
上林唯夫
右訴訟代理人弁護士
酉井善一
同
西本徹
同
岡本一治
同
山﨑国満
同
谷英樹
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用及び参加費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が大阪府地方労働委員会平成元年(不)第六四号不当労働行為救済申立事件につき、平成五年二月一六日にした不当労働行為救済命令を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告補助参加人(以下単に「補助参加人」という。)は、原告を被申立人として、被告に対し、救済命令の申立て(大阪府地方労働委員会平成元年(不)第六四号不当労働行為救済申立事件)をし、被告は、平成五年二月一六日、別紙命令書(略)記載のとおりの内容の命令(以下「本件救済命令」という。)を発し、同日、その命令書が原告に交付された。
2 しかしながら、本件救済命令は、後記のとおり、事実認定が不公正かつ恣意的であるうえ、解雇法理の解釈、適用を誤り、原告の経営する小南記念病院(以下「本件病院」という。)の使命や医療業務の特殊性を無視し、被告の有する裁量権の合理的範囲を超えて発せられたばかりでなく、原告が、本件救済命令で問題とされた平成元年九月二九日付け解雇(以下「本件解雇」という。)後の平成四年八月七日に、上林唯夫(以下「上林」という。)を本件解雇とは別の理由でさらに解雇したため、本件救済命令発令時においては上林の救済の利益が失われていたにもかかわらず、これを看過して発せられた違法がある。
3 なお、本件救済命令の「理由 第1 認定した事実」に対する認否は、次のとおりである。
(一) 「1 当事者等」の各認定事実は認める。
(二)(1) 「2 組合の結成から当委員会の関与による和解に至るまでの経緯」(1)の認定事実のうち、原告が従業員に対し、一人ひとりから直接要求を聞きたい旨を述べたこと、本件病院の従業員のうち二二名が昭和六三年八月二九日午後から同月三一日まで集団で医療業務を放棄し職場を離脱したこと、原告が職場離脱に伴う欠員を補充し、診療体制を整えるため新規に従業員を雇用したこと及び八月二九日当日、本件病院入口に「皮フ科・小児科・外科・整形外科休診」と書いた紙片が貼付されていたことは認め、その余は争う。
右従業員の集団による職場離脱は、病院の経営を破綻させることを目的として、上林の指導のもとに周到に準備された計画的破壊活動であり、抜き打ちストと呼ばれる違法な争議行為である。
(2) 同(2)の認定事実のうち、昭和六三年八月三一日に職場を離脱していた二二名の従業員が本件病院に来たこと、福本レイ子(以下「福本」という。)を含む二三名の従業員が補助参加人を結成したこと及び上林を補助参加人の執行委員長に選出したことは認め、その余は否認する。
(3) 同(3)ないし(6)の各認定事実は認める。
ただし、同(4)は、新規従業員の雇用や補助参加人の不誠実な対応など、その背景となった事情に言及せず、病院の使命や医療業務の特殊性を無視した杜撰な認定である。また、同(5)及び(6)は病院の乗っ取りを画策した補助参加人やその支援団体の行動などが本件病院に与えた打撃の重大性を過少評価するなど、いずれも不公正な認定である。
(4) 同(7)の認定事実のうち、朝倉弘文が団体交渉の席において組合員と個別に交渉を行うような不当労働行為は一切行わない旨誓約したこと及び自宅待機命令の撤回や就労に努力する旨を述べたことは否認し、その余は認める。
(5) 同(8)の認定事実のうち、昭和六三年九月一六日に団体交渉が行われたことは認め、その余は不知。
(6) 同(9)の認定事実のうち、小南記念病院労組支援共闘会議が結成されたことは不知、その余は認める。
ただし、同月二七日及び同年一〇月一七日に府営土生団地に配布されたビラは本件病院に対する誹謗、中傷を記載したものであったにもかかわらず、これを本件病院の医療体制の不備を報じるものであったとする被告の認定は、補助参加人の主張を鵜呑みにした不当かつ迎合的な認定である。
(7) 同(10)の認定事実のうち、吉田正興(以下「吉田」という。)が詫び状を書いたことは否認し、その余は認める。
吉田は、補助参加人の組合員に脅迫され、無理矢理詫び状を書かされたのである。
(8) 同(11)の認定事実は認めるが、これは、原告の主張を黙殺した著しく不公正かつ偏頗な認定である。
(9) 同(12)の認定事実のうち、昭和六三年一二月八日に宣伝車が本件病院の前を通り過ぎたことは認め、その余は否認する。
この宣伝車は、本件病院が期限切れの薬品を使っているとの虚偽の事実を連呼していたのである。
(10) 同(13)の認定事実は認める。
(三)(1) 「3 当委員会の関与による和解後の経緯」(1)ないし(4)の各認定事実は認める。
ただし、同(1)及び(2)は、補助参加人の主張に盲従し、原告に対する偏見を露にした不公正な認定である。
(2) 同(5)の認定事実のうち、原告が二回の団体交渉を拒否したことは否認し、その余は認める。
これらの団体交渉が実現しなかったのは、上林が補助参加人側の出席員数を必要かつ相当な数にするようにとの原告の正当な申入れを拒否したことが原因である。
(3) 同(6)ないし(13)の各認定事実は認めるが、いずれも補助参加人に迎合した不公正な認定である。
(4) 同(14)の認定事実のうち、原告がレントゲン室での喫煙を理由としてこれを施錠したこと及びレントゲン室に禁煙の貼紙が貼付されていたことは認め、上林及び中村吉治(以下「中村」という。)を診療放射線技師(以下「レントゲン技師」という。)の業務に従事させなかったことは否認し、その余は不知。
本件病院においては、レントゲン室を禁煙場所に指定し、外部の者の立入りを禁じていたにもかかわらず、上林は、支援団体の関係者をレントゲン室に出入りさせたり、そこで喫煙したりしており、原告や本件病院の事務長の度重なる注意にも従わなかったので、原告は、レントゲン室に施錠したにすぎなかったのであるし、また、原告は、必要が生じる度に施錠を解いて、上林や中村をレントゲン撮影の業務に従事させていた。
(5) 同(15)の認定事実のうち、補助参加人の支援団体の関係者らが本件病院に立ち入った目的が、原告がレントゲン室を施錠して上林らを業務に従事させず、不誠実な団体交渉を繰り返していたことへの抗議であったとの点は否認し、その余は認める。
右支援団体の関係者らは、原告を本件病院の経営から排除し、追い出すために、本件病院に立ち入ったのである。
(6) 同(16)の認定事実のうち、福本が渡辺医師から入院患者のレントゲン撮影の指示を受けていたことは否認し、その余は認める。
(7) 同(17)の認定事実は否認する。
(8) 同(18)の認定事実のうち、平成元年五月一六日の団体交渉に杉原庸介(以下「杉原」という。)が原告の代理人として出席したことは認め、杉原と補助参加人との間で看護婦の勤務表作成につき口頭の確認があったことは否認する。
(9) 同(19)ないし(21)の各認定事実は認める。
ただし、原告は、不誠実な団体交渉を繰り返したことはないし、同(20)及び(21)の各認定は、補助参加人が本件病院の経営を破綻させる目的で原告に対する損害賠償請求訴訟の提起を突然マスコミに発表したことや補助参加人に所属する看護婦による点滴、看護業務の集団拒否の強行による本件病院内の混乱などの背景事実に対する配慮を欠いた不公正なものである。
(10) 同(22)の認定事実のうち、原告が一方的に看護婦の新たな勤務表を提示し、実施したことは否認、吉田冬子が入院患者に追われて転倒し、負傷したことは認め、その余は不知。
(11) 同(23)及び(24)の各認定事実は認める。
ただし、同(23)で認定された上林の吉田冬子に対する労働者災害補償保険適用の申入れや抗議は、勤務中の原告に罵声を浴びせたにすぎないし、原告が右吉田から事情を聴取しなかったとの認定も、その後右吉田が無断欠勤をしたり、何の報告もしなかったからである。また、同(24)の看護婦不在の状態を引き起こしかけた責任は、原告ではなく、補助参加人の組合員である看護婦を含む看護婦全員にある。
(12) 同(25)の認定事実のうち、緒方智子(以下「緒方」という。)と加藤千恵子(以下「加藤」という。)との当直勤務の交代につき婦長である海老名育子(以下「海老名」という。)の了解を得ていたとの点は否認し、その余は認める。
(13) 同(26)の認定事実のうち、加藤が医師の渡邉信仁から入院患者のレントゲン撮影の指示を受けていたことは否認し、その余は認める。
(14) 同(27)ないし(29)の各認定事実は認める。
(15) 同(30)の認定事実のうち、原告が海老名に対して組合所属の看護婦に点滴をさせないよう指示したとの点は否認し、その余は認める。
(16) 同(31)の認定事実のうち、原告が団体交渉の席上で組合のいうことは一切聞かない旨述べたとの点は否認し、その余は認める。
(17) 同(32)及び(33)の各認定事実は認める。
ただし、同(32)は、森本敦子(以下「森本」という。)ら二名に対する配置転換の原因となった補助参加人組合員の看護婦による集団的注射業務拒否への言及を欠いた不公平な認定である。
(18) 同(34)の認定事実のうち、原告が原香代子(以下「原」という。)及び福本を夜間当直勤務から外したとの点は否認し、その余は認める。
(19) 同(35)の認定事実のうち、原告が上林に交付した警告書で補助参加人の組合員の看護婦を本件病院が定めた勤務体制に従わせるよう求めたとの点は否認し、その余は認める。
(20) 同(36)の認定事実は認める。
(21) 同(37)の認定事実のうち、原告の代理人である杉原が上林に退職を求めたことは不知、その余は認める。
(22) 同(38)の認定事実は認める。
(四)(1) 「4 上林解雇後の経緯」(1)ないし(5)の各認定事実は認める。
(2) 同(6)の認定事実のうち、原告が補助参加人所属の看護婦に給料を手渡す際に投げ捨てたり、給料袋を踏みつけたりしたとの点は否認し、その余は認める。
(3) 同(7)の認定事実は認める。
(五) 「5 上林の解雇理由等について」(1)ないし(3)の各認定事実は認める。
二 被告及び補助参加人の請求原因事実に対する認否
請求原因1の事実は認める。
三 被告の主張
1 本件救済命令の内容は、別紙命令書記載のとおりであるが、原告と本件病院の職員らとの間で生じた対立から、本件病院の従業員らが補助参加人を結成し、補助参加人は、昭和六三年九月及び一〇月に、被告に対し、原告を相手方として、二件の不当労働行為救済申立てをした。これらの事件については、同年一二月、被告の関与により、原告及び補助参加人双方が健全な労使関係の形成に努力することや双方共これらの事件につき今後一切異議を述べないことなどを内容とする和解(以下「本件和解」という。)が成立したにもかかわらず、原告は、これを誠実に遵守せず、補助参加人の組合員の本件病院からの排除と疑われてもやむを得ないような内容の経営方針を示し、これに対する協力を求めるなどした。その結果、原告と補助参加人との対立はますます激化していったとの事情に照らすと、上林や補助参加人の組合員、あるいはその支援団体の関係者の中にときとして行き過ぎた言動があったことを考慮してもなお、本件解雇を正当化することはできず、結局、本件解雇は、補助参加人の組合員であり、執行委員長としてその中心的存在であった上林を嫌悪して、懲戒解雇したといわざるを得ないから、不当労働行為に該当することは明らかである。
2 このように、本件救済命令は、適法な手続によって発せられ、事実認定や法律の解釈、適用に誤りはないうえ、被告の裁量の範囲内で発せられたものであるから、取消しの対象にならない。
四 原告の反論
1 被告の主張は争う。
2 原告の行った本件解雇は、次に述べるとおり、正当な行為である。
(一) 補助参加人の執行委員長であった上林は、支援団体の関係者とともに、原告を排除して本件病院を乗っ取ることを画策し、自ら原告の指示に逆らったり、原告に罵声を浴びせたりしてその業務を妨害し、あるいは、虚偽のマスコミ発表、街頭宣伝活動やビラ配布、監督官署や融資元の銀行への抗議の申入れ等の破壊活動をしていたばかりでなく、補助参加人の中心的人物として、組合員の看護婦らを指示、煽動し、注射業務の拒否等を行わせていたため、本件病院の機能が麻痺し、外来患者が激減するなど、原告は、甚大な被害を被っていた。
さらに、上林は、医師の指示がなく、かつ、その必要もなかったにもかかわらず勝手に入院患者にレントゲン撮影を施そうとしたり、実際に医師の指示がないのに独断で患者のレントゲン撮影を実施してしまったことがあったが、レントゲン撮影が患者の身体に対する侵襲行為であることを考えると、このような行為は極めて危険といわなければならない。さらに、上林の勤務場所は、本件病院のレントゲン室であり、このレントゲン室は、空気の清浄を保つために禁煙とされ、また、部外者がむやみに立ち入らないよう原告により管理されていたにもかかわらず、上林は、レントゲン室で喫煙し、支援団体の関係者を出入りさせていた。このように、上林が本件病院のレントゲン技師としての適性を欠くことは明らかである。
(二) 右の背景のもとに、本件解雇がなされたのであるが、原告が本件で主張する本件解雇の事由は、次のとおりである。
(1) 昭和六三年八月二九日から同月三一日まで、本件病院の従業員二二名が集団で本件病院での業務を拒否し、職場を離脱し、本件病院を混乱におとし入れ診療業務を妨げたが、上林は、これを画策し、指導した(解雇事由イ)。
(2) 上林は、同年九月七日、岸和田市役所において、記者会見を行い、原告が薬剤師や看護婦に対し、使用期限切れの薬剤の使用を強制しているなど虚偽の事実を発表し、原告や本件病院の名誉、信用を毀損し、本件病院の経営上回復し難い損害を与えた(解雇事由ロ)。
(3) 上林は、補助参加人の組合員や支援団体の関係者とともに、次の行為を自ら実行し、あるいは、これを企画、指導した(解雇事由ハ)。
<1> 同月一二日、本件病院前の駐車場に宣伝車を駐車させ、拡声器を使用して、「期限切れ薬品の使用を強制」などと虚偽の宣伝をした。
<2> 同月二七日、本件病院付近にある府営土生団地において、右と同旨の内容を印刷したビラを配布した。
<3> 同年一〇月一七日、右土生団地及び本件病院付近一帯において、右と同旨の内容を印刷したビラを配布した。
<4> 同年一二月八日、街頭宣伝車を用い、本件病院前の道路を右と同旨の内容を連呼しながら走行した。
(4) 上林は、平成元年一月五日以降、原告や事務長の度重なる注意を無視して、支援団体の関係者を本件病院のレントゲン室に入室させ、禁煙の貼紙をはがし、禁を犯して喫煙したり、原告の許可なく管理区域たるエックス線室にビラを貼付するなどした(解雇事由ニ)。
(5) 上林は、同年二月一日、本件病院前の駐車場で、支援団体の関係者約一五〇名とともに抗議集会を行ったが、その際、拡声器のボリュームを上げて、自ら本件病院の悪口をわめき散らし、入院患者の病状を悪化させた(解雇事由ホ)。
(6) 上林は、同年三月一八日、支援団体の関係者を本件病院に立ち入らせ、原告の退陣を求めるビラを多数作成させたうえ、これを院内各所や院外の電柱などに貼付させた(解雇事由ヘ)。
(7) 上林は、同月二三日、無断で本件病院内に立ち入らせた支援団体の関係者とともに、院内でゼッケンを作成して自ら身に着け、他の組合員の看護婦全員にも着用させた(解雇事由ト)。
(8) 上林は、同日、補助参加人の組合員である看護婦と共謀して、医師の指示がなく、必要もないにもかかわらず、入院患者にレントゲン撮影を行おうとし、これを阻止した原告に対し、医師の指示があるなどと述べて反抗的な態度を示したり、この患者に罵声を浴びせたりした(解雇事由チ)。
(9) 上林は、同年六月二日、職場を離脱し、補助参加人やその組合員が原告に対して損害賠償を求める訴えを提起したことを記者会見で発表し、原告や本件病院の名誉、信用を毀損した(解雇事由リ)。
(10) 上林は、同月二三日、補助参加人の組合員である看護婦の吉田冬子が本件病院の入院患者に負傷させられたとして、これを労働災害扱いすることを要求したが、その際、執務中の原告に罵声を浴びせるなどして、その業務を妨害した(解雇事由ヌ)。
(11) 上林は、同月二九日、支援団体の関係者とともに本件病院の事務室に乱入し、原告に対し、補助参加人の組合員である看護婦の緒方の勤務交代に関して説明を求めるに際して、原告に罵声を浴びせたばかりでなく、診療中の原告を付け回すなどして、その業務を妨害した(解雇事由ル)。
(12) 上林は、同日、医師の指示なく入院患者にレントゲン撮影を行い、エックス線照射録に医師の名を記入し、医師の指示があったかのような記載をした(解雇事由ヲ)。
(13) 上林は、「地域的に追い込む為に街頭宣伝の強化」と題する書面を作成し、平成元年五月ころから、補助参加人の組合員やその支援団体による原告や本件病院に対する破壊的宣伝活動を企画し、これを煽動、指示した(解雇事由ワ)。
(14) 同年七月二四日以降の補助参加人の組合員である看護婦による点滴及び注射業務の組織的、集団的拒否に関し、原告は、同年八月一日及び九月一日に、上林に対し、補助参加人の最高指導者として、右業務拒否を中止して業務に復帰するよう指示することを求めたが、上林は、これを無視して放置した(解雇事由カ)。
(15) 上林や補助参加人は、本件解雇以前から、原告の融資元である東海銀行に対して、原告への融資を止めるよう不当、違法な申入れを重ねていたが、同年一〇月二日にも、東海銀行に同様の申入れを行い、本件病院の倒産を画策した(解雇事由ヨ)。
(三) 原告の就業規則上、懲戒解雇については、六五条に規定されており、その主な内容は別紙命令書(略)一六頁記載のとおり(ただし、「項」とあるのは「号」と改める。)であるが、上林の右行為のうち、(3)の<1>ないし<4>は同条五号及び一一号に、(4)は同条四号、一二号及び一三号に、(6)は同条一二号に、(9)は同条一一号に、(10)及び(11)は同条四号に、それぞれ該当するし、その余の行為も、犯罪行為を構成したり、契約上の誠実義務に違反するのであるから、懲戒解雇事由に該当することは明らかである。さらに、上林の行った前記一連の行為をも考え併せれば、原告が本件解雇をしたことはやむを得ないものであり、本件解雇は、正当かつ適法である。
しかるに、被告は、昭和六三年一二月二四日の和解以前の事情は解雇事由たり得ないとしたうえで、本件解雇の正当性を否定し、これを不当労働行為であると断じ、原告に対し、上林の職場復帰等を命じたのである。いうまでもなく、相互の信頼関係を基調とする労働関係に係わる事件を処理するに当たっては、従前からの経緯を含む事案の全体的考察が必要であるにもかかわらず、被告はこれを怠ったばかりでなく、右懲戒解雇事由の存在をも看過して、懲罰的な本件救済命令を発したのである。
このように、本件救済命令には、事実誤認、医療業務の特殊性を無視し、被告に認められた裁量権の合理的行使の限度を超えた違法がある。
3 仮に、本件解雇が無効であったとしても、原告は、平成三年六月一五日、本件病院の玄関前駐車場において、原告に対し、暴行を加え、傷害を負わせたとの理由で、平成四年八月七日、上林を懲戒解雇した。
よって、本件救済命令発令時には、すでに上林に対する救済の利益は消滅しており、本件救済命令には、これを看過して発せられた違法がある。
五 原告の反論に対する被告の認否
原告の反論3の事実は不知、その余の主張は争う。
六 原告の反論に対する補助参加人の認否及び再反論
原告の反論3のうち、原告が平成四年八月七日、上林に対し、懲戒解雇の意思表示をしたことは認め、その余の主張は争う。
ただし、原告は、右解雇がなされたことを理由に、上林の本件解雇の無効を理由とした地位保全仮処分の取消しを求める申立てを行ったが(大阪地方裁判所岸和田支部平成四年(モ)第四三五号事件)、平成五年一月一八日、右申立てを棄却する旨の判決がなされ、これに対する控訴事件(大阪高等裁判所平成五年(ネ)第一六〇号事件)においても、控訴棄却の判決がなされた。また、右解雇の理由とされた上林の原告に対する暴行、傷害事件につき、公訴が提起されたが、大阪地方裁判所は、平成七年三月一七日、上林に対する無罪判決を宣告し(当庁平成三年(わ)第三〇〇九号事件)、現在検察官控訴により、控訴審(大阪高等裁判所)に係属中である。
七 補助参加人の再反論に対する原告の認否
右暴行、傷害事件につき公訴が提起されたこと、大阪地方裁判所がこれに対して上林に対する無罪判決を宣告したこと及び右事件が検察官控訴により控訴審に係属中であることは認める。
第三証拠
本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1については当事者間に争いがない。
二 すすんで、本件解雇に至る経緯について検討する。
当事者間に争いのない事実に証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 原告は、住所地において、昭和六三年七月一日、内科、外科、整形外科、産婦人科、小児科、理学診療科及び放射線科を有する本件病院(ベッド数一五二床)を開設し、自ら院長としてその経営に当たっている。
上林は、昭和六三年七月の本件病院開設時にレントゲン技師として原告に雇用された。補助参加人は、同年八月三一日、本件病院の従業員により結成された労働組合であり、上林は、右結成時から補助参加人の組合員であり、その執行委員長である。
2 本件病院の従業員は、開設直後から本件病院の医療体制や待遇について不満を抱いており、婦長を通して改善を申し入れていたが、埒があかなかった。
そこで、これら従業員のうち二三名は、同月二九日朝、原告に対し、実際の労働条件が採用時に示されたものと違うなどとして、待遇や医療体制の改善を申し入れたところ、原告は、昼休みに交渉に応じると答えたので、右従業員らは、そのまま業務に従事した。そして、原告が同日午後零時ころから本件病院三階の看護婦控室で一人ひとりから要求を聞きたいと述べたことから、各従業員が個別に原告と話し合うこととなった。最初に入室した看護婦が原告や他の使用者側職員から取り囲まれるような形での協議になったため、右従業員らは以後全員でなければ交渉に応じないと主張した。これに対し、原告は、個別による話合いに固執したため、それ以上の交渉を続けることができなくなってしまった。
原告のこのような態度に抗議するため、右従業員のうち看護婦の福本を除く看護婦一三名、レントゲン技師二名、事務員五名、薬剤師及び栄養士各一名の合計二二名は、同日午後、職場を離脱した。そのため、本件病院における医療業務は多大の支障を生じ、原告は、業務に復帰させるため、これらの従業員の自宅に電話をしたが、従業員らは、復帰しなかった。なお、同日、「皮フ科・小児科・外科・整形外科休診」と記載された紙片(<証拠略>)が本件病院の玄関に貼られていた。
右従業員らは、同月三〇日昼過ぎに、原告との話合いを求めて本件病院を訪れた。原告は、右従業員らに対し、指示書及びアンケート用紙を渡し、業務を放棄せず、就労するよう命ずるとともに、アンケート用紙に不満を記載して提出するよう求めた。これに対し、右従業員らは、これを丸めて投げ捨てたり、放置したりしたうえ、逆に原告に対し、改善を求める一〇項目を記載した要求書(<証拠略>)を手交して、病院を退去した。なお、その裏面には、原告が話合いに応じてくれればすぐに職場に復帰する旨が記載されていた。
3 前記職場離脱をした従業員らは、同月三一日朝、本件病院に赴き、前記要求書に対する回答を求め、原告と話合いを行ったが、物別れとなり、本件病院を退去した。そして、右従業員らは、福本を含む二三名で補助参加人を結成し、レントゲン技師である上林をその執行委員長に選出した。上林は、同日、本件病院に電話をかけて、翌日から職場に復帰する旨を告げたが、特に理由は告げられないまま拒否された。
結局、これらの従業員は、同月二九日の午後から同月三一日まで職場を離脱し、業務に就かなかったため、原告は、右職場離脱に伴う欠員を補充し、診療体制を整えるため、同月二九日の午後から同月三一日までの間に、新たに従業員二〇名を雇用した。
4 補助参加人は、昭和六三年九月一日午前八時三〇分ころ、原告に対し、組合結成の通知を行い、給与条件等六項目の要求を示して同月一〇日までに文書による回答を求めるとともに、労働協約の締結に関する団体交渉を行うよう文書(<証拠略>)で申し入れた。
これに対し、原告は、同日午後二時ころ、補助参加人の支援団体の者も同席して本件病院の食堂で行われた交渉の席上、集まった補助参加人の組合員に対し、同席した原告の代理人の弁護士中山哲(以下「中山弁護士」という。)を通じ、前記職場離脱に対する処分を決するまでの間、福本を含む組合員に自宅待機を命じる旨及びその間の賃金は全額支払う旨を告げた。さらに、原告は、団体交渉の申入れについても、中山弁護士を通して、組合規約、組合員名簿及び結成時の議事録等の提出を求め、その提出をまって労働組合として認めるか否か、団体交渉に応じるか否かを回答する旨を告げた。
5 補助参加人は、昭和六三年九月五日、原告に対し、組合員の就労を求めるとともに、同月六日に団体交渉を行うよう申し入れた(<証拠略>)ところ、中山弁護士は、上林に対し、検討する時間が必要であること及び前記組合規約等の書類が未提出であることを理由に、交渉協議に応じる意思のない旨を記載した書面(<証拠略>)を郵送し、右書面は、同月六日、上林に到達した。補助参加人の組合員は、同月六日、支援者とともに、就労を求めて本件病院を訪れ、退去を求める病院側と小競り合いになった。
また、原告は、同月一日に求められた労働条件に関する申入れに対する回答も行わなかった。
6 上林らは、同月七日、岸和田市役所で記者会見を行い、本件病院の医療体制を批判したり、原告が期限経過後の薬品の使用を薬剤師や看護婦に強要した旨を述べ、同月八日の毎日新聞朝刊がこの記事を掲載した(<証拠略>)。なお、上林が右記者会見を行ったのは、補助参加人の執行委員長としてであった。
7 補助参加人は、同月一〇日、被告に対し、団体交渉応諾を求める不当労働行為救済の申立て(大阪府地方労働委員会昭和六三年(不)第五五号事件、<証拠略>)をし、さらに、同年一〇月四日、前記自宅待機についての不当労働行為救済の申立て(同(不)第六一号事件、<証拠略>)を行った。
その後、補助参加人は、同年九月一二日午前に本件病院前の駐車場で抗議集会を行った後、病院側との団体交渉を行い、その後も同月一六日、一九日及び同年一〇月四日に団体交渉が行われたが、病院側の責任者として出席していた者が従前の経緯を充分に知らなかったことなどもあり、原告から自宅待機を命ぜられた従業員の就労に関する回答はなされず、補助参加人は、この間、本件病院の診療体制の不備等を記載したビラを付近の団地に配布し、その前後を通じて、宣伝車による同様の街頭宣伝活動を行った。
また、補助参加人の組合員は、前記全額の支払いが約束されていた自宅待機中の従業員の賃金が同年一〇月分から六割に減額されていたので、同年一月二八日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、未払賃金の仮払いを求める仮処分(同支部昭和六三年(ヨ)第二〇六号事件)を申し立て、同支部は、同年一二月九日、右賃金の仮払いを命ずる決定をした。
8 その後、同月二四日、原告と補助参加人との間で、前記不当労働行為救済申立てに関し、次の内容の和解協定(本件和解)が成立し(<証拠略>)、補助参加人は、前記各不当労働行為救済の申立てを取り下げた。
「1 病院は、昭和六三年九月一日付け組合員に対する自宅待機の指示を解き、昭和六四年一月五日付けで職場復帰させる。
2 病院は、責任をもって経営再建を行い、組合は、経営の再建対策に誠意をもって協力する。
3 病院は、本件和解に伴い、解決金として金四八〇万円(年末一時金を含む)を昭和六四年一月二〇日までに、組合に支払う。
4 今後、労使双方は、互いに相手方の立場を尊重して、健全な労使関係を築くため、今回の和解の精神に基づき誠実に努力する。
5 組合は、本件和解をもって、大阪府地方労働委員会昭和六三年(不)第五五号及び第六一号の事件の申立てを取り下げ、当事者双方はこれらの事件に関し、今後一切異議を申し立てないことを確認する。」
ところが、同月二七日、補助参加人が原告に対し、労使関係を正常化するための申入れを文書で行ったところ、原告は、右文書を宛て先の記載がないとの理由で、後日上林に送り返した。
9 補助参加人の組合員一八名(他の五名は脱退)は、昭和六四年一月五日、職場に復帰し、原告側に花束を贈った後、今後の労使関係についての協議を行おうとした。ところが、原告側は、上林、福本及び小柳加代子の主任職を解くとともに、同じく看護婦で補助参加人の書記長土井秀美及び原をリハビリ科補助に、医事科事務員の森本、番匠谷幸(以下「番匠谷」という。)を調理事務に、栄養士の荒木智子(以下「荒木」という。)を栄養科調理員に、それぞれ配置転換や業務替えをする旨の辞令を発した(<証拠略>)。
原告側は、それとともに、補助参加人に対し、看護婦一〇名、レントゲン技師二名など合計二〇人の人員削減を内容とした再建実行計画(<証拠略>)を提示し、希望退職の最終的な期限を平成元年一月二〇日までとしたが、補助参加人は、レントゲン技師の削減予定の二名が上林及び中村を指すものと考え、右計画自体が補助参加人の組合員の排除を目的としたものであるとして反発した。
そこで、補助参加人は、昭和六四年一月六日、原告に対し、右配置転換や業務替え、再建実行計画についての団体交渉を申し入れた(<証拠略>)ところ、原告は、補助参加人に対し、いずれもパートタイマーである薬剤師甘佐倫代(以下「甘佐」という。)、看護婦の鶯谷良子及び杵島勝子を同月九日付けで解雇する旨を記載した書面(<証拠略>)を示すとともに、補助参加人側からの参加者を病院側と同じ四名に制限するとの条件を付したうえで、同月九日に団体交渉を行う旨を回答(<証拠略>)した。
10 原告は、平成元年一月八日、右甘佐ら三名にパート雇用契約解消の辞令(<証拠略>)を発した。
また、同月九日に予定されていた団体交渉は、補助参加人が原告が申し入れた人数制限に同意しなかったことから、実現しなかったし、同月一一日の補助参加人の団体交渉の申入れも同様の理由で開催されなかった。
そこで、甘佐ら三名は、同月一三日、解雇の無効を主張して、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、地位保全の仮処分(同支部平成三年(ヨ)第三号事件)を申し立てた(<証拠略>)。
11 原告は、平成元年一月二三日以降の夜勤当直の体制を従来の看護婦二名及びヘルパー一名から看護婦及びヘルパー各一名に変更した。これに対し、補助参加人は、従来どおり看護婦二名及びヘルパー一名の体制として欲しい旨の申入れを行い、後になって、看護婦の手当につきヘルパーと同額でもよいとの妥協案を示したこともあったが、結局、原告は、右要求を拒否した。
12 同月二七日、大阪地方裁判所岸和田支部は、甘佐ら三名を申立人とする前記仮処分の申立てを認容する旨の決定(<証拠略>)をし、同日、補助参加人は、原告に対し、右甘佐ら三名に関する団体交渉を同月三一日午後六時三〇分から行うよう申し入れた(<証拠略>)のに対し、原告は、同月三〇日、病院の経営が極限に達したので、その対策を緊急に話し合うための団体交渉を同月三一日午後七時から行うよう、補助参加人に申し入れた(<証拠略>)。
原告及び補助参加人は、同月三一日夜、本件病院において、団体交渉を行ったが、原告は、その席上、甘佐ら三名を申立人とする右仮処分決定に対し異議申立てを行う予定であること及び余剰人員をなくし外部委託業務を拡大することで経費削減を計ることを検討していることを内容とする今後の病院の運営方針を示した(<証拠略>)。
これに対し、補助参加人は、支援団体である岸和田地区労とともに、同年二月一日午後五時三〇分ころから、本件病院前の駐車場において、原告への抗議集会を開いたところ、病院の入院患者のうちの数名が、同月二日及び三日、上林に対し、罵声を浴びせるなどして抗議したり、退職を求めるなどした。なお、原告は、これらの患者の抗議行動のための部屋を提供し、また、抗議の場にも立ち会ったが、特に患者を制止することはなかった。
そして、原告は、同月四日、補助参加人の組合員全員に対し、自主退職勧告書を提示したが、組合員らは、その受取りを拒否した。
13 原告への抗議集会はその後も続けられ、また、補助参加人や支援団体による街頭宣伝車による活動、ビラの配布や本件病院院内への貼付、監督官署に対する申入れや原告への融資元である東海銀行に対する抗議等も行われ、これらのことに関連して支援団体の関係者が逮捕されるなどの事件も発生した。
14 原告及び補助参加人は、同月一〇日、右上林らに対する降格や配置転換及び甘佐ら三名に対する解雇問題を巡って団体交渉を行ったが、原告は、その席上、甘佐ら三名の職場復帰は認め、その時期については後日返事するとしたものの、荒木の原職復帰は認めず、また、当日、補助参加人が申し入れた医療体制の改善要求にも応じなかった。
さらに、原告及び補助参加人は、同月二〇日にも原告の申入れによる団体交渉を行ったが、この団体交渉の際、原告退席後、病院の事務次長の吉田は、前記森本及び番匠谷の配置転換並びに医療体制改善の申入れに関し、同月二五日までに回答する旨を約束した(<証拠略>)。
原告は、同月二一日、右甘佐ら三名を職場に復帰させたものの、同月二五日、当日予定されていた前記申入れに対する回答は、吉田が独断で約束したことであるとして、行わなかった。
15 補助参加人は、同年三月一六日、原告に対し、春闘の要求書(<証拠略>)を提出し、賃金、労働条件や本件病院の医療体制の改善を申し入れるとともに、前記荒木の勤務時間の是正を求めた(<証拠略>)。
原告は、同日、上林が禁煙の貼紙が貼付されていたにもかかわらずレントゲン室で喫煙したことなどを理由に、これを施錠し、以後一か月の間、上林及び中村を廊下の長椅子で待機させ、レントゲン技師としての業務に従事させず、この問題について補助参加人が団体交渉を申し入れた(<証拠略>)のに対し、正当な理由もなく、これを拒否した。なお、上林は、レントゲン室の受付机付近で喫煙していたものであるが、同所には本件病院側が灰皿を用意してあり、上林以外の医師や従業員もこの場所で喫煙していたし、原告は、前記禁煙の表示をした後しばらくの間、代替の喫煙場所を設けなかった。また、原告は、この間、上林及び中村に対し、「あんたら暇でけっこうやなあ。」などと述べたり、早期に退職するよう求めたりした。
これに対し、同月一八日、補助参加人の支援団体の関係者数名が原告不在中の本件病院に立ち入り、原告の退陣を求めるビラを作成し、これらのビラは、セロテープで病院内各所や院外の電柱等に貼り付けられた。原告は、同月二二日、上林に対し、右ビラの撤去、示威活動及び本件病院内における集会の禁止を求め、これに応じないときは懲戒解雇に処する旨記載した内容証明郵便を送付した。
16 上林及び補助参加人の組合員である看護婦らは、同月二三日、「地労委の和解を守れ」、「団交に応じろ」などと記載したゼッケンを着用して、業務に従事した。
また、同日、上林は、福本の依頼で入院患者のレントゲン撮影を行おうとしたところ、原告は、必要がないとして、その中止を指示した。これに対し、上林は、渡辺医師の指示がある旨を述べ、レントゲン撮影を実施しようとし、原告との間で口論となった。
17 原告は、同年五月一日、補助参加人との団体交渉に応じ、前記森本ら二名を同月八日から原職に復帰させる旨を述べたが、原告がこれを実行したのは同月一六日になってからであった。
18 原告と補助参加人との間では、以上の事実以外にも、看護婦の勤務表の作成やその勤務体制、手当、補助参加人の組合活動や団体交渉の方法などを巡って激しい対立を繰り返していたが、補助参加人は、同月三一日、原告が不誠実な団体交渉を繰り返しているとして、被告に対し、前記8記載の和解協定の遵守及び補助参加人の要求に対する誠意ある回答を求める斡旋を申請するとともに、同年六月二日、原告が補助参加人の組合員に対し、不当労働行為や不法行為を繰り返していることを理由に、大阪地方裁判所岸和田支部に金三一〇〇万円の損害賠償を求める訴えを提起した。上林ら補助参加人の組合員は、右訴訟の提起をマスコミに発表し、その記事が同月三日の各紙の朝刊に掲載された。
原告は、同月七日、補助参加人による右訴訟の提起などを理由に、右申請に基づく被告の斡旋を辞退した。
19 原告は、同月一七日、看護婦の新たな勤務表を提示して、これを同月二一日から実施したが、補助参加人は、これが看護婦の意見を聞かずに原告が一方的に作成したもので、これまでの団体交渉での確認事項に反するとして抗議をした。
また、同月二一日、吉田冬子が本件病院の入院患者に追われて転倒して負傷した。上林は、同月二三日、原告に対し、右吉田の負傷につき労働災害扱いすることを求める申入れを行ったが、原告がこれに取り合わなかったため、口論となった。
同月二八日、補助参加人の組合員である看護婦の緒方が、勤務予定の同日に出勤できなくなったため、これまでの慣行に従い、予め婦長の海老名の了解を得たうえで、看護婦の加藤と同日の当直勤務を交代していたところ、同日夕刻、原告側から翌二九日は出勤しないよう指示を受けた。緒方は、加藤に連絡して状況を尋ねたので、加藤は、同日夜、支援団体の関係者数名とともに本件病院に赴き、原告に説明を求めようとしたが、原告がこれに応じなかったため、原告と支援団体の者との間で口論となり、原告は、事務室の扉を施錠してしまった。同月二九日、緒方が出勤し、業務に就こうとしたところ、原告から、業務に就かないよう指示され、自宅に帰るよう求められた。上林は、同日、支援団体の関係者とともに、この問題について、原告に説明を求めたが、原告がこれに応じようとしなかったため、抗議をした。
上林は、同日、看護婦の加藤の依頼に基づき、本件病院の入院患者のレントゲン撮影を行ったが、その際、このレントゲン撮影が渡邉信仁医師の指示に基づくものであることを聞き、エックス線照射録(<証拠略>)の指示をした医師の氏名・印欄に「渡辺Dr」と記載した。本件病院においては、エックス線照射録の同欄の記載を医師が自ら書き入れることもあったが、看護婦やレントゲン技師が代筆することも広く行われていた。
20 原告は、同年七月二二日、看護婦の福本及び加藤が行った点滴注射により入院患者の容体が悪化したとして、婦長の海老名に対し、福本及び加藤の点滴注射を海老名が代わって行うよう指示したところ、補助参加人の組合員である看護婦らは、これに反発し、同月二四日以降、原告による具体的な指示がないことを理由に、点滴や注射業務を行わないようになった。
原告は、このような事態に対処するため、補助参加人の組合員である看護婦全員に点滴等を行うことなどを記載した「警告及び命令書」を交付する一方で、補助参加人の執行委員長である上林に対し、同年八月一日、補助参加人の組合員である看護婦らの点滴注射等の拒否を直ちにやめさせ、業務命令に服するよう指示することを求める「警告書」を交付したが、看護婦の注射業務の拒否が続いたため、同年九月一日にも、上林に対し、同様の内容の「警告書」を交付したが、上林は、これに応じなかった。
21 原告は、同年八月一日、同年五月一六日に医事科に復帰していた森本ら二名に対し、職種の異なるヘルパー業務への配置転換を命じた(<証拠略>)。これに対し、右森本ら二名は、同年八月八日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、医事科事務員としての地位保全の仮処分を申請したところ、原告は、同月一〇日、森本ら二名に対する右配置転換を撤回したので、右申請は取り下げられた(<証拠略>)。
22 補助参加人の組合員である甘佐ら四名は、同年九月八日に本件病院を退職した。その際、甘佐は、原告に対し、上林が作成した「地域的に追い込むための街頭宣伝の強化」と題する書面(<証拠略>)を交付したが、この書面には、宣伝車による宣伝活動や市民向けのビラの配布、署名の収集、行政への訴えなど原告に対抗するための活動方針が記載されていた。
23 原告は、同月一四日、補助参加人の執行副委員長であるレントゲン技師の中村に対し、栄養課業務への配置転換を命じ、また、原告側の職員が、上林に対し、退職を求めた。
24 原告は、同年九月二九日、上林に対し、前記14記載の抗議行動や故意に歪曲した事実をマスコミに発表するなどして本件病院の名誉を棄損したこと等を理由に、同月三〇日をもって懲戒解雇する旨の本件解雇を通告した(<証拠略>)。
これに対し、上林は、同年一一月一日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、解雇無効の仮処分(同支部平成元年(ヨ)第一四五号事件)を申請し、補助参加人も、同年一二月一日、被告に対し、同解雇の取消等を求める不当労働行為救済の申立て(大阪府地方労働委員会平成元年(不)第六四号事件)を行った。右仮処分申請については、平成三年五月三一日、これを認容する旨の判決がなされ(<証拠略>)、原告がこれを控訴(大阪高等裁判所平成三年(ネ)第一二四三号事件)したものの、大阪高等裁判所は、平成四年二月四日、第一審と同様本件解雇が無効である旨の判決をした(<証拠略>)。また、右不当労働行為救済申立てについて、被告は、平成五年二月一六日、本件救済命令を発した。
25 なお、原告は、中村に対し、平成二年九月一二日、通勤用自動車を本件病院正面玄関前の駐車場に駐車させたことを発端として、本件病院のレントゲン室の待合室に通ずるドアを施錠して中村が待合室に出入りできないようにしてしまったり、中村が待機のために座っていた椅子を撤去してしまったり、レントゲン室の電灯を消してしまったりするなどして、中村が廊下に立って待機せざるを得なくしたばかりでなく、前記のとおり、栄養課への配置転換をしたり、本件病院におけるレントゲン業務に従事させなかった。中村は、同月二一日、大阪地方裁判所岸和田支部に対し、右業務命令の効力停止を求める仮処分を申請したところ、同支部は、同日、これを認める旨の決定をし、原告は、同月二二日、右業務命令を撤回した。
また、補助参加人は、被告に対し、原告を被申立人として中村をレントゲン業務に従事させ、椅子を撤去したことに対して謝罪することなどを求めて、不当労働行為救済の申立てを行い(大阪府地方労働委員会平成二年(不)第四一号事件)をし(ママ)、被告は、平成三年一二月二七日、これを認める救済命令を発令した。
三 次に、本件懲戒解雇事由の成否について検討する。
原告は、懲戒解雇事由として、解雇事由イないしヨの事由を主張するのであるが、右認定の事実によると、上林は、補助参加人の執行委員長として、組合結成以来、原告と本件病院従業員及び補助参加人との間に生じた労務関係を巡る紛争に直接関与してきたものであり、右紛争において、補助参加人及び上林ら組合員の取った行動にはいささか行き過ぎたところがあったことは否めないとしても、本件紛争の発端というべき雇用条件を巡る折衝における原告の対応に必ずしも適切とはいえないところがあったこと、その後、被告関与のもとに昭和六三年一二月二四日に成立した本件和解後の原告の補助参加人らに対する対応がその後の両者間の紛争の原因となっていること、さらには後記認定のように原告は、補助参加人ら労働組合に対し、顕著な嫌悪感を示しており、団体交渉における対応にも非難されるべき点があることが指摘でき、このような事情は、以下において検討する原告主張の本件解雇事由の成否を判断するうえで重視しなければならない。以下、個々の解雇事由について判断する。
1 解雇事由イないしハについて
前記認定の事実によると、昭和六三年八月二九日から同月三一日まで、本件病院の従業員二二名が本件病院の業務を拒否し、職場を離脱したこと(解雇事由イ関係)、上林が同年九月七日、補助参加人の執行委員長として、岸和田市役所において、記者会見を行い、原告が薬剤師や看護婦に対し、使用期限切れの薬剤の使用を強要している旨述べ、同月八日の毎日新聞朝刊がこの記事を掲載したこと、上林の右行為は、補助参加人の代表者との立場で、その活動として行ったことであるということができること(解雇事由ロ関係)、補助参加人及びその組合員らが前記原告の反論2(二)(3)の宣伝活動を行ったこと(ただし、右宣伝内容が虚偽であったとの点を除く。)、右の行為は、補助参加人の活動として行われたものであること(解雇事由ハ関係)を認めることができる。
他方、前記認定の事実によると、解雇事由イないしハは、いずれも本件和解成立前の行為であるところ、右和解の基礎となった事件は、団体交渉の応諾及び原告の行った前記自宅待機処分に関する救済を求めたものではあるが、本件和解に至る経緯、解決金の支払いやその後の本件病院の経営再建への補助参加人の協力の定めなどが和解内容とされていることに照らせば、右和解は、単にその基礎となった団体交渉の応諾及び自宅待機処分に関する事柄の解決だけを目的としたものではなく、それまでの労使間の対立を清算し、以後の健全な労使関係の創造へ向けての合意であったということができること、したがって、その5項に定められた「当事者双方はこれらの事件に関し、今後一切異議を申し立てないことを確認する。」との条項は、右各事件の直接の対象とされた団体交渉への応諾や自宅待機の問題を超えて、それまで労使双方に存在した一切の行為を対象としていたものと認めるのが相当であること、本件和解後原告と補助参加人との間に生じた紛争の主たる原因は、専ら原告の対応にあるのであって、補助参加人が右和解の合意を遵守せず、その精神に反した行動をとったなどという事情も認められないことを指摘することができ、右の事実関係に、前記摘示の事情を総合勘案すると、解雇事由イないしハをもって懲戒権の行使を許容せしめる原因とするには至らないというべきである。
2 解雇事由ニについて
前記認定の事実によると、上林が平成元年一月五日以降支援団体の関係者を本件病院のレントゲン室に入室させたことがあること、レントゲン室に禁煙の貼紙が貼られたこと、上林がレントゲン室に設置された受付机の辺りで喫煙をしていたこと及び上林がレントゲン室の受付の入口にポスターを貼付したことは認められるものの、その余の事実を認めるに足る的確な証拠はない。なお、支援団体の関係者がレントゲン室に長時間留まっていたことを認めるに足る的確な証拠がない上、右受付机の上には、本件病院側が用意した灰皿が置いてあり、上林以外の従業員や医師も同所で喫煙していたし、原告は、レントゲン室での禁煙の指示を出しながら、しばらくの間代替の喫煙場所を設けなかったし、さらには、上林がポスターを貼付したのはレントゲン室の受付の入口であって、管理区域内ではなかった。
右の事情を総合すると、レントゲン室における禁煙の指示が必要なものであったとしても、右喫煙やレントゲン室に部外者を立ち入らせたとの一事をもって、就業規則六五条四号、一二号及び一三号に反するとして本件解雇の理由とするのは重きに失するといわなければならず、このことを理由に、本件解雇を正当化することはできないというべきである。
3 解雇事由ホについて
前記認定の事実によると、上林が同年二月一日に本件病院前の駐車場で支援団体の関係者多数とともに抗議集会を行ったことは認められるものの、これが拡声器のボリュームを上げるなど原告主張のような態様であったことやこの集会が原因で入院患者の病状が悪化したことを認めるに足る客観的証拠はない(原告の右主張に沿う原告の供述や<証拠略>の記載部分は、前掲各証拠に徴し採用しない。)。
そして、右集会は、補助参加人の組合活動であったというべきであるし、その開催に至った経緯、その態様が社会的に許容された相当性を逸脱したとの事情を認めるに足る証拠がないことに照らせば、右事実を上林に対する懲戒解雇事由とすることはできないというべきである。
4 解雇事由ヘ、トについて
前記認定の事実によると、上林が同年三月一八日支援団体の関係者を本件病院に立ち入らせ、原告の退陣などを求めるビラを多数作成させたこと、これが院内各所や院外の電柱などに貼付されたこと及び上林が同月二三日本件病院内に立ち入らせた支援団体の関係者とともに院内でゼッケンを作成して自ら身に着け、他の組合員の看護婦全員にも着用させたことが認められる。
そして、これを直接実行したのが支援団体の関係者や上林以外の補助参加人の組合員であったとしても、その態様やビラの記載内容、ゼッケンの記載内容、補助参加人と支援団体の関係などからすると、右行為が補助参加人の組合としての活動あるいは補助参加人を支援するためのものであり、補助参加人と歩調を合わせての活動であったと推認できるというべきである。したがって、その最高指導者である上林も相応の責任を免れないのではあるが、それまでに原告の行ってきた一連の行為の態様や後記認定のような原告の不当労働行為意思の明確な存在、右ビラの作成、貼付及びゼッケンの作成、着用の行為が原告の諸行為に対抗するための手段であったことなどの事情に鑑みると、上林の責任のみを一方的に追及することは相当でないから、この事実を上林に対する懲戒解雇の事由とすることはできないというべきである。
5 解雇事由チについて
前記認定の事実によると、上林が同日入院患者にレントゲン撮影を行おうとしたところこれを阻止した原告との間で口論となったことは認められるものの、このレントゲン撮影が医師の指示を欠き、あるいはその必要がなかったことや上林が患者に罵声を浴びせたことを認めるに足る証拠はない。
右の事実によれば、上林は、業務としてのレントゲン撮影を原告に阻止され、口論となったにすぎないのであるから、これが上林に対する懲戒解雇事由とならないことは明らかである。
6 解雇事由リについて
前記認定の事実によると、上林が同年六月二日補助参加人やその組合員が原告に対して損害賠償を求める訴えを提起したことを記者会見で発表したことは認められるものの、上林が無断で職場を離脱したことを認めるに足る証拠はない。
右訴えの提起自体は補助参加人やその組合員としての権利の行使であるうえ、その事実をマスコミに発表したことも、違法な行為とはいえないのであるから、これらの事実を上林に対する懲戒解雇事由とすることは許されない。
7 解雇事由ヌについて
前記認定の事実によると、上林が同月二三日補助参加人の組合員である看護婦の吉田冬子が本件病院の入院患者に負傷させられたとしてこれを労働災害扱いとすることを要求したことは認められるものの、その際罵声を浴びせるなどして原告の業務を妨害したことを認めるに足る的確な証拠はない。
そして、上林の右行為は、上林が補助参加人の執行委員長として組合員の利益確保のために行った相当な行為というべきであるから、これをもって、原告の上林に対する懲戒解雇事由とすることはできないというべきである。
8 解雇事由ルについて
前記認定の事実によると、上林が同月二九日補助参加人の組合員である看護婦の緒方の勤務交代に関して説明を求ようとしたことは認められるものの、その際、原告に罵声を浴びせたり、診療中の原告を付け回すなどしてその業務を妨害したことを認めるに足る的確な証拠はない。
そして、上林の右行為は、解雇事由ヌについてと同様の理由で、懲戒解雇事由たり得ないというべきである。
9 解雇事由ヲについて
前記認定の事実によると、上林が同日看護婦の加藤の依頼に基づいて入院患者にレントゲン撮影を行ったこと及びエックス線照射録に医師の名を記入したことは認められるものの、右レントゲン撮影に医師の指示がなかったことを認めるに足る的確な証拠はない。
なお、前記認定のとおり、レントゲン技師がエックス線照射録に医師の名を代筆することは、本件病院において通常行われていたのであるから、これをもって上林に対する懲戒解雇事由とはなし得ないというべきである。
10 解雇事由ワについて
前記認定の事実によると、上林が「地域的に追い込む為に街頭宣伝の強化」と題する書面を作成したこと及び前記認定のとおりの補助参加人の組合員やその支援団体による活動があったことが認められ、また、右書面に記載された内容やその後の補助参加人やその支援団体の諸活動からすると、右書面は、本件病院を対象とした活動の方針を示したもので、これに基づいて右諸活動が実行されてきたものと推認することができる。
そして、右書面の内容に徴すると、広範、かつ、大量にして定期的な原告に対する抗議活動を行うことを企画したものということができ、これが実施された場合に正当な組合活動の域を超えるかどうかの問題を生ずることがあり得ることはあるとしても、これを企画したとの一事をもって、補助参加人の執行委員長の地位にあった上林の責任を問題とすることはできないし、また、その内容の一部が実行されたとしても、前記解雇事由ヘ、トについて判示したと同様の理由で、懲戒解雇事由たり得ないというべきである。
11 解雇事由カについて
前記認定の事実によると、同年七月二四日以降補助参加人の組合員である看護婦が点滴業務に就かなかったこと、原告が同年八月一日及び九月一日、上林に対し、補助参加人の最高指導者として、右看護婦らが業務拒否を中止して業務に復帰するよう指示することを求めたこと、上林がこれに応じなかったことが認められる。なお、補助参加人の組合員の看護婦が右のような行為に及んだのは、原告が入院患者に薬物ショック様の症状を呈したことが補助参加人の組合員である看護婦二名の責任であるとして、その点滴業務を婦長に代行させたことなどに反発し、原告からの具体的指示をまって点滴業務を行うこととしたにもかかわらず、原告が指示を与えなかったためであることは、前記認定のとおりである。
右の事実関係と前記認定の原告の行ってきた行為とを総合勘案すると、右のような事態を解消できなかった責任を一方的に上林に負担させることは許されないというべきである。
したがって、右の事実をもって、上林に対する懲戒解雇事由とすることはできない。
12 解雇事由ヨについて
前記認定の事実によると、補助参加人が本件和解成立から本件解雇に至るまでの間に原告の融資元である東海銀行に対して原告への融資を止めるよう申入れを行ったこと及び同年一〇月二日にも東海銀行に同様の申入れを行ったことが認められる。
このような行為は、補助参加人の労働組合活動としての相当性を欠くのではないかとの疑いがあり、その最高責任者としての上林の責任も否定できないではないが、右行為に至った経緯や原告の前記一連の行為や後記不当労働行為意思の存在に照らすと、このことをもって、上林に対する本件解雇を正当化することはできないというべきである(なお、同年一〇月二日の申入れは、本件解雇の後に生じた事実であるから、本件解雇の事由たり得ないことは明らかである。)。
四1 右判示のとおり、原告の主張する解雇事由の中には、形式的にみれば、原告の就業規則所定の懲戒解雇事由に該当すると解されるものもあるが、前記認定説示のとおり、原告の側には、本件和解成立以降数々の不当労働行為と目される言動があり、上林や補助参加人、あるいはその支援団体が行った各行為は、原告の右行為から補助参加人やその組合員の利益を擁護する趣旨に出たものであり、補助参加人の存立を確保するために行われたというべきである。確かに、これらの行為の中には、医療従事者として不適切な行為や労働組合活動としての相当性に疑問を抱かせるものもあるものの、右判示の経緯や原告の行為に照らせば、これらの行為が独立の解雇事由になり得ないのみならず、これを全体的に考慮してもなお、本件解雇を正当化することはできないといわなければならない。
2 以上判示のとおり、本件解雇は、正当な理由がなくなされたものというべきであるが、前記認定の事実に基づいて検討すると、本件解雇は、単にその理由を欠くにとどまらず、原告の補助参加人に対する不当労働行為意思に基づいてなされたものであることが明らかである。
すなわち、前記認定の事実によると、原告は、病院開設当初から、後に補助参加人の組合員となった従業員らと対立し、補助参加人結成後、その対立がますます激化していったものであり、その間、右従業員らが、多くの入院患者や外来患者がいるにもかかわらず、職場を離脱し、業務を放棄してしまったことには病院の従業員として責められるべき点があり、また、上林らが昭和六三年九月七日に行った記者会見によって原告が重大な打撃を受けたことは容易に推測できるものの、原告と補助参加人との間において、昭和六三年一二月二四日に本件和解が成立した以上、原告もこれを遵守し、労使関係の正常化に向けて誠実に努力する義務があったというべきである。それにもかかわらず、原告は、期待を抱いて本件病院に赴いた補助参加人の組合員に対し、正当な理由もなく団体交渉に応じることを拒否し、組合員の降格や配置転換の辞令を発したばかりでなく、露骨に組合員排除を意図したと受け取られても仕方のない再建計画を示し、これに反発した組合員に対し、その後も正当な理由のない就労拒否、懲戒解雇や配置転換等を繰り返したものということができ、これらの事情にかんがみると、原告の右一連の行為は、本件病院から補助参加人の組合員を排除することを意図し、その弱体化を図るために行われたものということができる。
そして、右の点に、原告が本件救済命令(大阪府地方労働委員会平成元年(不)第六四号事件)の審問期日において、補助参加人が反体制、過激な集団であって、個人の財産をねらうゆすりたかり集団であるなどと明言し、かつ、労働組合が本件病院に存在することを好まないなどと述べており(<証拠略>)、また、本件訴訟の本人尋問においても、右と同旨の認識を示し、かつ、このような認識は、昭和六三年八月末の前記集団職場離脱以降一貫して抱き続けている旨供述していることなどの言動から、原告が補助参加人を自己に敵対するものと捉え、これに対する強度の嫌悪感を募らせるとともに、補助参加人及びその組合員を本件病院から排除しようとの意思を有していたことは明らかというべきであって、これらの事情を考え併せれば、本件解雇は、補助参加人の執行委員長の地位にあった上林に対し、補助参加人を嫌悪し、その弱体化や排除を意図してなされた不当労働行為(労組法七条一号、三号)であるといわざるを得ない。
五1 原告は、さらに、本件解雇の後である平成四年八月七日に、原告に対する暴行、傷害を理由として、原告の就業規則六五条三号、一七号(刑事上の罪によって起訴され罰せられたとき)に基づき、上林を解雇したのであるから、本件救済命令発令の時点においては、救済の利益を欠いていたにもかかわらず、本件救済命令には、この点を看過した違法がある旨を主張する。
2 しかしながら、上林が原告に対し、右主張にかかる暴行、傷害を加えたことを認めるに足る的確な証拠はない(原告の右主張に沿う<証拠略>の記載部分及び原告の供述は、採用できない。)から、同条三号の懲戒解雇事由に該当しないし、また、右暴行、傷害事件にかかる刑事事件も、前記のとおり、上林を無罪とする一審判決が出され、検察官の控訴により控訴審に係属中である(この事実は、当事者間に争いがない。)ことからすれば、同条一七号に該当しないことも明らかである。これらの事情に、上林に対する右解雇を前提とした原告の仮処分取消申立てが棄却され、これに対する原告の控訴も棄却する旨の判決がなされていること(<証拠略>)をも併せ考えれば、上林が右暴行、傷害の行為を行ったと認めるには到底至らないから、結局、右解雇も理由がないこととなり、上林は、いまだ原告の従業員たる地位を喪失してはいないと認めるのが相当である。
3 よって、上林が右解雇により、原告の従業員たる地位を失ったことを前提とする原告の右主張は採用しない。
六 右判示のとおり、本件解雇は、解雇事由を欠き、原告の補助参加人に対する不当労働行為であるということができるから、これと同旨の本件救済命令は適法である。そして、右行為が不当労働行為に該当することを明らかにして、上林の職場復帰を命ずるとともに、このような行為を反復しない旨を告知するよう命じた本件救済命令は、病院業務という特殊性を考慮してもなお、原告主張のように、被告に与えられた裁量権の合理的範囲を逸脱したものとは到底いうことができない。
七 結語
以上の次第で、本件救済命令の取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 長久保尚善 裁判官 井上泰人)